隣の芝、書くを語ること(「最低で最高の本屋」 の感想)

最低で最高の本屋(松浦弥太郎)を読んでの感想。

ざっくりとした殴り書きになってしまった。もっとまとめたほうがいい気がするが、やる気が尽きたので、ここまで。

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隣の芝は青い

著者の前半生の泥っぽさに対して思い浮かんだ言葉。憧れるか?そうなりたいか?ときかれるとYesとは言えないけど、そういうのもイイな、みたいなかんじ。

自分で言うのもなんだが、私は温室育ちだと思う。今、私は無職で、底辺のはずなんだが、あまりにも守られているから、生活に底辺感はまったくない。ありがたいことで、恵まれているんだけど、この本の前半を読んでると、それが恵まれていないとも言えるのかな、と思ってしまう。

でも、私は「温室で育てられた」わけでもあるけれど、「温室で育てられることを選んだ」。積極的に温室から出る勇気はなかった。温室の中が苦しいわけではなかったからよかった?いや、でも結果として今、半引きこもりというわけだからわからない。苦しくないというのも、思い込みかもしれない。他と比べたことがないからなんとも言えないのだ。だから、いずれ一人暮らしをしたい。まあ、大義名分が見つからないが。

書くことについて語れるか?

「 書くこと、つくること」のところを読んでいて、私はまだ「書くこと」について語れないな、と思った。まあ、そんなに書いてないのだから仕方ないといえば仕方ない。もっと書いて、語れるようになれたらカッコいいと思う。それは書いた結果であって、それを目的にするのは違う気がするけど。

いや、語ることをあきらめなくていいのでは?あんまり書いてないといっても少しは書いているのだから、そこには何か手法とか意図があるはず。それについて思考を割く機会がなかったのは確かだが、この機会に考えてみてもいいかもしれない。

書くことについて語ろうとしてみる。手順は、主題を発想して、ノートに向かってメモを広げて、それを並べ直しつつ文章ができあがる。意識すること、なんてものはない。まあ、ほかの方を傷つけないようにとか、プライバシーとかそういったあぶないところは注意するわけだが、そういった事以外は深く考えずに書きなぐっている

この記事の執筆について思ったこと

本を読んでからすぐに書かないと、思いの鮮度が下がる。

間を空けて感想を書くと、作業感というかそういうのが増して、今回みたいに尻切れトンボになってしまう。

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