物語の摂取不足について

本日、眠れなくて暇、という理由で久々に手塚治虫のブラックジャックの1巻を読んで思ったこと。

読んでいて色々と心を動かされる場面があった。各々が懸命に生きようと、なにかを為そうという姿に感銘を受けた。で、私もがんばろう!と思ったりするわけだが、そういうのが、なんとなく久しぶりのような気がしたのだ。

最近の私は、物語を摂らなさすぎて、冷めてしまっているのではないかという話である。

熱い気持ちというのは、日々生きていて、まあ出会わなくはないけれども、それほど頻繁に出くわしても困るものだ。だが、物語であれば気楽にその熱い気持ちにたぎることができる。その物語を閉じれば、また日常に戻れるのだから。といっても、人間の頭などそう単純にカチッと切り替わるものでもないのだから、その「熱」は日常を回す活力になるだろう。

私には、そういった「熱」を帯びる機会が最近は乏しいように思う。

一番最近に摂取した新しい物語ってなんだろう?だいぶ前ではないか?

最近は小説を途中で投げ出していることが多い。私の現在の言語力、習慣力からいって小説は最早、高尚なものになってしまっている感がある。物語であればいいと考えるのなら、気楽に読める漫画や、定額サービスで視聴可能なアニメなどからでもいいはずだ。

とは思うものの、また小説を手に取ろうとする私でありましたとさ。ちゃんちゃん。

<付記:うまく文章に入れ直すのがめんどくさかった>

そういえば、音楽でそういった「熱」を感じる機会は割とあるなぁ。

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