IRIAM配信振り返り:これからどうするか?

「これからIRIAMでの活動をどうしていくか?」に答えを出すことを目標に、ここまでのIRIAMでの経験を整理していく。

多分、好きなようにしていこう、っていう無難な結論になるだけだが、整理した経験に基づいてその意見を支えたいと思っている。

基本的に時系列で記していく。

目次

配信をしていて、思うこと

なんとなくのスタート

IRIAMを始めたのは偶然。また、スタートしたのは現実逃避期であった。つまり、配信を始めたのは、することがないから。

たまたま、立ち絵を自分で描ける環境はあったから、やってみたというだけである。

まあ、一応、YouTubeでゲーム実況動画投稿をしていたという下地があったというのもあるが。

生じた望み

IRIAMの中でリスナーとしても動いていくなかで、こんなことができたらいいなといった望みが生じていく

居場所としての枠

周りが変わっていっても、みんなの縁をつなぎとめることのできる自枠というものを維持していこうというもの。きっと私は途切れなく続けることはできないだろうけれども、憧れた。

感謝の機会

バッジ返還式という名の感謝を伝える機会。実際にその場に居合わせて、いいなと思った。

動いているDiscordサーバー

こんな活発で、楽しいサーバーがあるのかと感動して、自分の周りでもそういったものができたらいいのになと思った。

「望まない」という「望み」

これに関しては生じていったというより、もともとより忌避していたものでもあり、またリスナーをする中で強まっていった想いでもある。

私にはギフトを投げてほしくないと思っていた。

自分の配信にそんな価値がないとおもっていたのと、自分が投げれない側であったのでその心苦しさを自枠で発生させたくなかったため。

ちなみにこれに関しては他の望みとちがって、今はだいぶしぼんでいる。

ある方の「がんばってもいいよ」って、言葉が変えてくれた。まあ私に宛ててではなかったかもしれないけど。

望むようにはいかない

端的に言って、過疎枠。

IRIAMは初配信後しばらくのあいだにバフが入るみたいな仕様だが、配信初期の私の動きが、イベントやポイント回収などに対して消極的であったのはよくなかっただろう。また、ウェルカムパスを貰うことができなかったのも痛い。

そういうこともあって、リスナーさんは基本的に私が行く枠のライバーさんということが大半。

まあ、それはそれで、貴重な体験を得ることができた。が、正しく配信者であったとは言い難い状態だった。

望まないほうが楽

いつだったか、もう少し枠に賑わいを持たせたくて入室耐久をやったことがあったが、その際も無人で30分が過ぎ、閉じた。

そういったこともあって、私は枠に来てもらうことを期待しなくなっていった。それは、初見さんにせよ、知っている方にせよ、である。

それは、私のリスナーとしての活動にも影響した。私が他枠に訪れることも、その枠主に望まれていないだろうから、私も好きなようにしていようという考えである。自分勝手になっていったとも言えるし、自主性を獲得したとも言えるだろう。

ただ、メンタルを壊した時以外は惰性で、毎日配信を続けようとしていた。

配信をやめて、思うこと

で、そんな中、ある時メンタルを壊して以降、配信をほとんどやっていない。(2024/11/07で途切れた。)

配信が主要因でメンタルを壊したわけではなかった。だが、それがいろいろと考え直すタイミングであったことは確かで、その結果とりあえず一旦やめようということになった。

それ以降に思っていたことを振り返る。

配信したくはならない

これが配信をしない一番ネックの要因。止めたあと、また配信したいな、ということにならなかった。

私にとって自枠は、無人で苦しいときや、人がいても難しさを感じる時がそれなりにあった。

もちろん楽しかったことがないわけではないし、それに加えて、人間関係の一つのカタチとして経験として貴重なものであり、側面はたくさんある。

が、どう取り繕ったところで、感情、感覚としてやりたいと思えなかったので、そこまでだ。

これには、リスナーとしての活動も下火になってIRIAM自体から関心が離れたこともあるように思う。

なお、逆にいえばやらない理由はそれだけなので、なんらかのキッカケがあれば動き出す余地は十分にある。

私の枠は求められていない

私が配信を止めた時、もう一度配信をしてくれ、と言う人はいなかった。加えて、そう想ってくれそうな間柄の人も、私視点ではいない。

よって私は、(ちょっと私が苦労するとしても)誰かのために自枠をがんばって開こう、ということにならなかった。まあこれは、他の人にはあるであろうものが、私にはないというものなので、想像の範囲を出ないが。

リスナーとして

私と相手の、双方が返礼的枠訪問から自由になるのはラクだな、と思った。枠に来てくれたから、こちらも枠に行かなくては、というやつだ。

これはおそらく、意識下でも、無意識下でもはたらく作用。私も、ふだんあまり気にしてないつもりだったが、配信を止めてみるとより気楽にリスナーとして動けるような気がした。

ただ、これはこのメンタル回復のタイミングでいくつかふっきれたことが原因かもしれないのだが。

IRIAMから離れる意味

リスナーとしても少し離れたりもした。

自分のことに時間を使える、ような気もしたが、あらためて見直すと、その分、代わりの娯楽の時間が増えるだけ。

IRIAMで求められる体力(というか精神力?)の消耗は抑えられるので、それに疲れているのであれば一時、離れるのは一手ではある。

また、IRIAM内での依存的なもの(毎回来てくれると思われる/毎回行かないといけないと思う など)をリセットするのにもいいかも。

これからどうするか?

まとめ:やらない(好きなようにする)

憧れがなくなったわけでは無いが、その無謀な望みは、最早、ただ配信を点ける動機にさえなり得ない。

配信が自分にポジティブな影響を与えることを認めつつも、感情はやりたいとは思えていない。

が、その道を閉ざすという宣言をしたいわけではない。

影響を受けやすい私のことだ、リスナーとしての動きをしていれば、いずれ、またやりたくなるのではないだろうか。その時は、また、やってみればいいと思う。

ほかのやること

ほかのやることがいっぱいあるというのもちょっと引っかかるポイントかも。配信をすると、なんだか、なにかやった気になってしまうので。

配信をするなら

IRIAMのノルマを自分のノルマにしなくていい、とは思った。短時間枠も可。やりたいようにやればいいということ。

特に、無人の30分はきつい。無人なら15分でも長いくらいだと思う。なんかさびしいな、辛いなと思ったらさっさと切ればいいのである。もちろん、待ってれば来てもらえる可能性は、あるけどね。

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