ひとりごとで済ませるべきだったもの

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2024/12/28

深夜

つかれたのか、弱音を吐きたくなっていて、誰かにきいてほしいような気もしつつ、そんなことは許されないと思いつつ、

ああ、もう、わからない。とりあえず書き出す。

「全部投げ出そうか」

それが、頭の中に浮かんで、
それが、だんだん頭の中で大きくなっている。

全部諦めた。はずだったのに、また、望みはじめている。それが、まだ破綻しているわけではないが、私は今、破綻させたくなっている。

まともに生きようなんて、高望み。また、繰り返している。

寝て、起きて、表面上のメンタルは持ち直した、らしい。

だけど、根本の思考部分が、もう、なにか、また、壊れてしまっているような気がする。数日前と同じように考えることができない。楽観的になれない、というより、悲観している?

どうするのがいい?”いい”とはなんだろうか、私にとって。楽ならいいのか?不安を解消できたらいいのか?何なのだ。

“まとも”にやってくなんて、無理なのにね、って私は思っているみたいだ。かといって、自らを絶つ勇気もなく。

だれか、救ってくれ。助けて、じゃ、もう足りない。私は自分ではなにもできそうにないから、0を助けても意味がないだろう?誰か、に任せたい、丸投げしたい。すくい上げてくれ。まあ、助けさえないのに、救いを求めたところで、なんだがな。

今回の場合は、書き始めたことで、悪化し始めているようだ。考えるべきではないのかもしれない。

思考が偏っているのはわかっている。間違っている。それを指摘して、されて、変われるのならいいのにね。

ーーー

ここで少し認知行動療法の手法を思い出しつつ、少し取り組もうとしてみる。

つらくなったきっかけは予約をキャンセルしたこと。やっぱり私はだめだと思った。反論はできる。ちゃんと自分で連絡はしたじゃないか。迷惑はかかったかもしれないけど、たいしたことじゃない、よくあることだろう。毎回こうなるとも限らない。次がだめなんてことはない。

いや、単体の事象に対して、落ち込んでいるというわけではないような気がするな。”キャンセル”はきっかけにすぎない。疲れがきている、そう思う。そして、それを癒す方法がわからない。

いつも思うが、休むって、どうすればできるんだろうな。

論理的に悲観しなくていいってことが、わからないわけじゃない。でも、感情が、心の動きようが、もう疲れ切って、諦めてしまっていて。

でも、やっぱり、寝すぎじゃあ、ないのか。それをなんとかしなきゃだめなんじゃないか。

ああ、もう考えるのも、書くのも、面倒になってきた。おやすみ。

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