ブログのために文章を書き進めるけれども、ある程度やったところで、やめとこうかと筆を止める。
最近、そういうことが増えた。よろしくない。
それらを書き上げたとして、それを「私の書いたもの」として公開をしていいのか、ということにひっかかっていた。
私は誰に対しても、このブログをやっていることを隠していないつもりだ。
なので、私と関わりのある人のほとんどは、その気になれば、私のブログを「私の書いたもの」としてアクセスして読むことが可能だ。そう、私は認識している。
なので、ある特定の人に読まれるかもしれない、という懸念故に、載せづらい内容というものが生じてしまう。
そうしたことから、書くのを躊躇した内容や、書けなかったもの、書いても公開に至らなかったものが存在する。
この記事だって、それで一度没になっていた。
これが、そうした行動の範疇に止まるのならいい。だけれども、私はブログを書くこと、文章を書くこと、考えること、それらをさして分けていない。
だから、きっと私は、意識していないところで、考えるときに他の人の存在を過剰に気にするようにしていたのではないか。風波を立てる自分を殺そうとしてきたのではないか。
ここまでは、それもまた私の考え方ではあっただろう。だが、その事実に気づいてしまった今、私はそうありたいとは思えない。
この葛藤に対して、どういう解決策を取るかというのは、私に任されている。なので、思う存分にこのブログで持論を展開して、角を立たせることも一応可能ではある。
まあ、そんなことをしても読まれるかどうかはわからないことに加え、読んだ上で私にそれに関して言葉を返してくる人がいるとはあまり思えないが。
それでも、今の私には到底そんな度胸はない。
そもそも自分の中に攻撃性や、他の人との間に対立を起こしうる思考を持つこと、を認めることさえ、恐れることがある。まずは、そんな自分を認めてやること、そして、その思考を文の形で具現化させてやることから始めたい。
ということで、出せないようなこと、想いこそ、書くようにしよう、というので当面はやってみたい。
幸い、今は都合のよい相談相手としてAIなるものがいるから、そこあたりに投げるということを目標にすれば、それなりに文章としての体裁を整える意味が、まあ、ないことはないのではないだろうか。
そんなことを続ければ、私ももう少しうまく、何かを云えるようになるだろうか。
この記事の公開という行為も、おそらくそうした試みの一歩なのだと思う。
