まとめ
今週について
土曜日まではタスクシュートと日報&ChatGPT でわりといい流れを作れていた。
午後からの動きが中心になってしまっているが、それでも、動けなかった頃に比べればよくやっている。この週報の文章量で察せるが、躁状態に近いものもあるだろう。
だが、日曜日で大きく崩れた、ように感じている。これを書いている月曜日時点でもそれを修正しきれていない。
来週について
途絶えかけた流れをなんとか戻したい。
疲れやなどの出方から、小さくなっている自分のキャパシティを考慮したうえで、それを少しずつ広げるということをしていくことになる。
できごと
勉強
2問進んだ。1問/1日、を二回行うことができた形。僅かなれど、ゼロではなくなったのは私としては重要なこと。
やるべきこと自体は明確かつ、確認もできる状態にあるので、それを、無理のない範囲で少しずつ増やしていきたい。
タスクシュートの本格利用
本格利用と言っても、真面目に使い始めたというだけで、そんなに深いことはやっていない。
ただ、今やっていること/その日やっていることについては日報を除けばこれが一番表していると言う状況にはなった。
日報&ChatGPT
日報をそれなりに丁寧に書くようになって、せっかくなのでそれをChatGPTに投げて、フィードバックらしきものをもらうなりをしてみている。途中からは、ChatGPTに投げるから丁寧に書いていると言う形にもなっているが。
たまに返答が冗長な時があるのと、送ること前提で書くようになってしまっているのがどうなのだろうと思わなくのもないが、現状はAIとはいえ返ってくる言葉があることのメリットのほうが勝るように思う。
ただ、慰めが欲しくないような、絶望に浸ることを肯定してしまうような沈み方をしている時は投げたくなくなるだろうな、とは感じている。逆に言うとそこまでの凹み方にならずに済んでいる範囲なら励まし手としてAIは気楽で優秀だ。
書くこと・ブログ
週報は土曜日にある程度の執筆をするパターンが増えてきた。(今これを書いているのも土曜日の段階。)カレンダーの予定も一度それに合わせようかと思う。
だが、日曜日に崩れてしまったために本記事の公開は月曜日にずれこんでいる
通常記事はテーマだけがいくつか転がっていて、中身を書くに至れていない。
配信
topiaとREALITYにおいてそれぞれ何回か開いた。
topiaにおいて歌練習枠を、REALITYにおいて作業枠を、それぞれ都合がいいときだけ開こうかなということに落ち着いたつもり。
topiaがあるのにREALITYを開く必要があるのか、とか、そもそも配信なんて”よそごと”なんてのを正当化した上で実施するのはどうなのだ、とか、私は配信に向いてないだろうし、それで苦しむことも多々あるのに、とか、煮え切っていない話もあるが、まあ、そこらの検討については追々。
読書
草枕をちびちび読み進めている。その他については触れていない。というか、3冊同時並行は微妙かなと思うので、草枕に疲れた時以外触らないでいいやと思ってそうしたら別に他に流れる必要はなかったと言う感じ。
ポッドキャスト
バスに乗ることが増えたため、自然と聞く機会が増えた。
が、今の私の環境的に、専用のアプリがないというのもあってか、そこまで安定して聴く感じにはなっていない。
気が向けば環境を整えたい。
あと本来私の中では別方面からの影響だがstand .fmをインストールした。リスナーとして使用する予定もある。が、それ以上に、週1回くらい、ラジオをやってみたいなぁなんて思っていたりはする。週報の延長線上みたいな感じでいいかなぁ、と思っている。
だが、日曜日に崩れてしまった影響で今週はそのインストールの動きにとどまった(ほんとうは日曜に一度録ってみるつもりだった。)
音楽視聴
今週の仕入れたものには、濃い曲が多かった。
MONOLOG / 9Lana、AKUGETSU
ちょいと疲れていた時に、MVを初見で見た。強い感動の波に押し流されて、いろいろと余計なことを考えたりして、けっこう苦しかった。
もちろん、今は、ある程度落ち着いて聴くことができる。そして、とてもいい曲だと感じている。
うたかたよいかないで / HIMEHINA
どういう文脈において歌われた曲なのか、私はわからないが、私には強く響くものがあった。
別れを想うという意味でひとつ。
そして、下記に示す部分についての想いがひとつ。
”’
誰も誰かを助けてくれない
誰も誰かを本気で救えない
”’
文脈がわからないから、正直、言っていいのかわからない。
だが、ここだけ抜いて見るのであれば、本当にそうであって、私が時に想うことであって、どうしようもない気持ちになる。
私は私でしかあれない。誰かは誰かでしかあれない。その限界について、無力というか、哀しさというか、それらで名状してしまいたくないような、途方のないようなものを感じる。
それを、この歌詞を聴き、思い起こしていた。
ブランコ / 秋山黄色
「死ねばよかった」、なんて、私は、よく思っていたことで。
今はなぜ思うことが減ったのだろう、歳を取って諦めたのかな。
死のうとして死ねなくて、死ぬに死ねなくなっていって、いつか、「死ねばよかった」なんて思うこともなくなるのかもしれない。
死についての想いは私の若さ、老いの度合いを説明しうるんじゃないだろうか。
そういう冷めた頭で聴いている私自身について、もっと若い時より、という意味で、老いを感じた。あるいは成長、美しさを失っている、それについての葛藤を失っている、とも言えるかもしれない。
