変化を感じたタイミングがあった。祖母の、ひいては人というもの、老いというものを嘆き、だが、諦めた瞬間があった。それがきっかけで、この題材で一つ残しておきたくなった。
それを祖母は望みやしないかも知れない。だが、私にとってはこうして祖母への想いやあれこれを書き、まとめ、残すというのが、祖母と、その命と真剣に向き合うことだと信じている。
私を認識しているようでありながらも、もう私にはわからぬ世界の中で独り苦しんでいる祖母。あなたにここに書くものが届くわけもない。が、それでも、なにか通じればいいなとおもう。いや、通じなくとも、これを書くことを通じて、私が祖母から大切なものをまたいくつか受け取れたらと思う。
このところの話
祖母は認知症であり、近々、実家から老人ホームに移る。という言い方でいいのかもわからない(特に施設名がそういう呼称でいいのかわからない)。私は両親に祖母の介護のあれこれを投げた、故によくわからない。私は少し前に一人暮らしを始めたが、それには祖母の騒音やノイズから逃れ、自分がやらなければいけないこと、自身の人生を再び軌道に乗せるのに集中するという意図がそれなりにあった。もちろん、両親とは話し合ったうえでのこと。
だが結局1年以上たった今も私はわかりやすい成果を得られずにいる。が、のそのそとしていても少しは進歩している、と思っている。これに関しては書き始めたらどこまでも逸れていくので一旦置いておく。
最初の頃は祖母もまだ元気だった、だから両親もそれほど大変そうでもなかった。だが、ある時を境に祖母の状態は悪化して、以降、両親は疲弊していった。結果としてとてつもない負担を強いてしまった。
厳しくなって以降は、私も実家へ行きってコミュニケーションなどでの両親のストレス解消を意識することが多かった。そして、ずいぶん遅くなって、私は祖母をそれなりにいなせることに気付いた。本当に遅くなりすぎた。
父からすれば祖母は実の母であるのだから、当然、様々な感情があり、相手を非人間とするわけにもいかない。母は祖母に対してある意味他人なのでろうから、怒りも湧きやすかろう。当の私は血の繋がりもあり愛着もある、そして、どういうわけか諦めることが得意だから、祖母がまともではないということについて諦めて接することができるゆえ、あまり角が立たない。まぁ、比較的若いゆえの柔軟性なのだろうか。
様々に遅くなったことについて、私は責められていないけれど、私は私を責めた。だが、他にどうしようもできたとて、今が成立している以上、これでもよかったと思える範囲内に収まっているのは本当に幸いだった。
過去と今と
祖母が元気だったのはよく覚えている。象徴的だったのは、一緒に自転車で走り回っていた頃だ。確か弟も一緒だったと思う。山道のような階段をなんと自転車を押して一緒に登った。
あと、昔、ポケモンカードだったかを買ってほしいとねだったときに、私が癇癪を起こしそのカードを粗末にした際には、しっかりと叱って、買ってもらえなかったことも印象深い。ごめんな、ブーバーン、だったと思う。
よき祖母だった。それを想うと、今の祖母は痛ましいと言わざるを得ない。
亡くなった祖父を深く愛しているが故に、祖父を心の中で蘇らせては、時に亡くなっていることに気づき泣いている。いつも祖母は家に居ながら家に帰ろうとする。壁を叩いたり、私たちを非難したり。単に家を建て替えてしまったから、という以上に、祖母が今の状態に対して心細さがあり、それを帰るということによって解決できると信じることによって、成り立っているような気がして、痛い。だが、もうどうする術もなく私は、その気をそらしてなんとか家から出ていくのを阻止する他無い。
優しい人だ。それはつくづく思う。私のことを認識している時もあって、その際にはいつも励ましてくれる。時にはそれが、私がしっかり動けるようになってしっかり生きていってくれると迷いなく信じてくれていることが、あまりに不甲斐ない自分にとって重圧になることもあった。でも、それはあの人の優しさ以外のなんでも無い。
今は遠くで働いている私の弟のことも気にかけてくれていて、時々「あれ〜ちゃんは?」と言っては、皆に、彼は遠くに居てひとりで頑張っているよ、と言われている。
家のネコのこともよく気にかけている。私は軽度のネコアレルギーだったから、ネコを飼うことには割と反対寄りだったし、飼ってからもいろいろと許可して後悔したと思ったこともありはした。だけれども、今祖母のたしかな支えの一つになっていてくれることを思うと、あいつにも感謝しなければいけない。
私は、
祖父が亡くなったときにも思った。私は、この人を安心させられないままにお別れを迎えてしまった、と。
それは、この祖母についてももはや同じだ。私がちいさな子どもになっているような祖母の頭の中では、私がなにかできたと伝えても、すぐさまに消え去っていくだろう。
それでも、私は、まだ、なにかできるのだろうか。でも、それをするのが本当に祖母のためになるのだろうか。誰かのためと言ったって、結局は私の自己満足に過ぎない。誰かを背負っているのではなく背負った気になっている。それは、わかっている。だけど、そうでもしないと私は生きてゆかれない。
結局なにが言いたかったのか、わからない。尻切れトンボだ。
老いてゆく、祖母も、父も、母も、私も。ただ、そうしていくなかで、こんな想いが、認識があったことを、断片出来であるとしても、少しぐらい、残しておいてもいいんじゃないか、ということだった。
