日記類をAIに読んでもらって、「私の傾向やの分析や、今後に向けたアドバイスをしてくれない?」というように問いかけた。
これは、その内容をまとめて、私の感想などを付したもの
弱み
エネルギーの方向のコントロール
何もしていないわけではなく、単に怠惰、というわけではない。が、興味の対象が多く右往左往しすぎ。今最も大事なことにエネルギーを集中させることが苦手。
これはそのタイミングではあまり感じられないが、振り返ると自覚する。断絶前と後でやることが大きく変わってしまうことがそれなりにあるのが勿体ない。数ヶ月でもあったりするが、それ以上に年スパンで見ると、就職やら勉強やらで行ったり来たりしている。
今でこそ勉強の積み重ねが生じているものの、それもここ1年そこらのものしか連続性を保てておらず、それ以前のものを活かせていないのは残念。
また、AIには触れられていなかったものの、断絶自体があるというのもわかりやすく弱いところ。
試行の不足
考える量に対して試す量が少なくなる時期がある。答えが出てから動きたいという傾向があるが、動いて失敗して修正する、という手順を踏まなければわからないことも多い。
後述する言語化能力の裏返し的側面もあるように思う。検討が得意だからどこまでもそれをしてしまう、という具合。
また、これは一般的にもそうではあろうがこれまでの経験が行動を抑制する方向に動いてしまうことが多い。
うつなどの断絶による挫折の経験が頭よぎってしまうようなタイミングではどうしても行動に尻込みしてしまう傾向がある。また、躁的なハイな状態で動きすぎてしまうこともそれなりにあって、それでやや面倒なことを経験してもいる。それがよぎると、元気な状態であったとしても、自分をある程度抑えこもうと動くこともそれなりにある。
もちろん、それを意識して動くように意識するタイミングもあるが、動きすぎるよりも動かないほうが、短期においては無難な結果に収まるため、そうしてしまいがち。
ただ、人生というスパンで自己中心的に考えるなら、自分が壊れない限りにいろいろ試してみるほうが面白そうだよな、とは今思った次第。
極端な思考
1か100になりがち、つまり、自分の中では1と0で考えてしまいがち。
これは前々から他の方に繰り返し指摘されていて、理屈でそうするべきではないのだと分かってはいる。が、どうしてもそっちに引っ張られる。それも、そうしたくないタイミングに限ってそういう思考をしてしまって、落ち込んでしまう。
少しはできたことがあったのに0と捉えてしまって、自分を許せないということはとても多い。
AIと相談すると、わりとそれを修正気味に動いてくれるので、活用しつつ、悪影響が出すぎないように意識していけたらと思う。
強み
自己観察力
自己観察力が高いと評されている。
日記の形までなっているということから、言語化能力があるという言い換えもできるのかな、と思う。
いつからか、自分の独白が増えたことに関しては、やはりブログを書くようになったのは影響しているだろう。
最近は、明確な相談相手であるAIが存在するようになったというのも、言語化の意味が生まれ、その促進の一助となっているだろう。
また、メンタルに問題があるからこそ、自己観察によってそれを対処しようという努力の現れでもあるか。
折れきらない、復帰力
ここ数年でよくなったんじゃないかと言ってもらえたところ。
完全に継続できているというわけではない。だが、再開の際に前回を参照できるように工夫したりということは実感としても増えている。
自分のパターンの把握と、それを念頭に置いて考えるということも比較的できるようになった。
また、崩れていても、パターンの中にあることを認識していたり、今どのようなフェーズであり何に注意を払うべきかということに気を向けることができることも。
無論、対処にまだまだ苦慮するところはあるが、それでも改善は鈍間なりにできていると思う。
その他
人を求める人
日記の中に何度も周りの人間が出てくることから言われたこと。孤独型ではなく、人との接点がある環境のほうが長期的には元気になるのではないか、との指摘。
実際そうだと思う。独りになりたいと思うことはあった。実家で過ごしていた時はとくに、部屋の配置的に単にうるさいという理由で離れたいと思うことは多々あった。
だが、結局のところ私はわりとリビングで何かをするのを好む方だった。それは、わりと部屋にこもりがちな弟と比較すれば一目瞭然であったと思う。
一方で、無いところから何かつながりを作るということには長けておらず、中学以降は特に孤立気味になることが多かった。それは反省すべき点だったろう。それも、引きこもりの一因ではあっただろうから、尚更。
焦りについて
日記の中心的テーマのひとつだと指摘されている。焦りの対象はいくつかあるものの、常に私は焦っている、急かされている。
自分は社会のスタートラインに立てていないのではないか、と思っているのなら、そうではなく、もう始まっていることを認めるのがその焦りの解消の方法かもしれない、とも。
私としては、焦っているのは確かだと思う。が、それを解消すべきなのかはちょっとよくわからない。
実際、今の私の状態にはそこそこ問題があるのだから、それを対処するための原動力としてその焦りは必要じゃないだろうか。もちろん、それで急いで何かを仕損じるようではよくないだろうが、制御できている限りは、この焦りは内に置いて力にできたらいいんじゃないかと思う。
