あきらめフォルダ

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注意

読んでて気持ちのいいもんじゃないと思うので注意。

あとがきを先に

最近の私も押し込めすぎだなぁと思う面もあるのでちょっと吐き出しておく。

言いたいことが無いかと言われるとあるんだけど、あるかと言われると違うような気もして難しい。そういうとき、こういうどうでもいい場所は都合がいい、のかな?どうだろ?

自分が自分を忘れてしまわないように、という意味も込める。

つかれているだけなのかもしれないが。

本文

フォルダにポイ

自分が苛立っているのがわかる。

裏切られた、と私は思い込んでいる。
勝手に信頼して、勝手に裏切られたのだから、まぁそこまで間違いではない。繰り返し信じ、繰り返し、…。
相手からすればはた迷惑な話である。知ったあこっちゃないだろう。

というほどに大層なことでもないんだけどね、ひとつひとつは。

ただ最近はジクジクと痛みが積み重なって嫌気が差している。
ある事象に対して、またその周辺の類似事象について、諦めるのが、ここのところ段々と苦手になっていることが、私自身の中ではっきりとしている。

まぁ、どうにもなるもんでもない。

根本原因は”発する当人”ではない、といえばそうなんだろう。悪口は大抵ある程度の的を射ている。

が、悪口はやはり嫌いである。前もどこかに書いた。

居ないからといって袋叩きにする。解決するわけでなし、鬱憤晴らしの時間。その場に黙っている自分に嫌悪感を覚える。
そういや、小学校の頃のいじめってそんなんだったっけか、と思い出すたびに、嫌になる。

まぁ、その時と違って別に、誰かが明確に傷つくわけでもないだろうことは救いだろうが。まあ、私は傷んでいるけど。
いや、それなら私が悪者か、その場においては。空気を読めないやつは、蹴り出されるものだ。出てけ。

そう思うのなら、同類にならないためには、悪口を言わないためには、こんなものを出してはいけない。

なーんて我慢しているのもどうにも馬鹿らしい。別に同類でもいいや、と諦めきってる自分がいる。だって同類だもん。HAHAHA。

対話できても諦めは必要なのだから、対話の成立しない、していない相手にはなおさら、諦めるのが肝要だ。と思ってきた。

それはもしかしたら、自分自身についてもそうかもしれない。
自分自身と対話して、その対話が通じないほどに感情が走ってしまえば、やはりもう、そうなることを諦める他無いのかも知れない。

結局、私も短絡的な思考に踊らされ走ってゆくほかないヒトである。

さて、あきらめフォルダにいれて蓋をしてしまおう。

その人の、それについては、あきらめましょう。

もしくは、
その人の、それについては、私は苛立ってしまうものです、あきらめましょう、を入れといたほうがいいだろうか?

一拍を置いて

そういう思考の流れだったけか?と途中から思いながら書いていた気もする。

途中から、これは攻撃を楽しむための文章になっていないかい?

悪口は嫌いだったろうか?

“どうでもいいところ”にリソースを使うのがどうにも馬鹿らしい、という冷笑ではなかったのかい?

いつから怒りに変換された?

まぁ、変なテンションであるところに、タイミング悪く流れてきた文章に踊らされて火が点いた感もあるけど。

ああ、嫌なやつって、そこらへんにうじゃうじゃいるんだろうな。
隠れ蓑をまとっているだけなんだろうなぁ、なんて。
そして、その箕をまとっているのは私なんだろうなぁってね。
で、その内側を晒しているのがコレってわけか。ウケる。

AIによる評(私の勝手な抜粋)

総論

怒りをどう扱えばいいか困っている人、の文章のようであったと評されている。

「私はこういうときに裏切られたように感じ、怒りが湧き、でも攻撃的な自分も嫌になる」という流れそのものを理解するための文章なのではないか。そういう「取扱説明書フォルダ」を作っていくことで、またこのパターンか、と対処しやすくなるのではないか。

↑この趣旨のまとめが私にとってだいぶと救いであった。

ツッコミどころ

私が傷ついた。そのあとに蹴り出される必要はなくて、そこで止めて良くないか。

隠れ蓑のところは主語を大きくしすぎたね。

-----本記事は以上です-----

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