2025/01/24朝執筆。まだ病みの渦中にいるような気もするが、少し楽にはなったので覚えている内に書き残しておこうと思う。まあ、なにかあればまた書き足せばいいだろう。
起こったこと
- 精神的に病んだ
- 自分が無価値だと思った
- さびしいと強く思った
- なんだかよくわからないけれど、苦しくって泣いていた
- REALITYとIRIAMの毎日配信が止まった
- 病んだブログ記事とXでのつぶやきが発生した
※私の社会的活動についてはこの病みの有無にかかわらずその前から概ね止まっている。
原因について
期待してしまったこと
主にREALITYで顕著であった。ビギナー期間だからなどの理由で、誰かがきてくれることを期待してしまった。
また、REALITYという新しい環境下において、私をフォローしてくれた方が来てくれるかどうか不確実という状況というのも良くなかった。
IRIAMでは、ある程度の期間をやっているのでフォローされていても、もう来てくれないんだろうなという方に対しては期待しないわけだが、新しい環境のREALITYでは、そうではないという意味。
ただ、この期待は結局、後述する虚無時間の影響もあり、IRIAMで配信しているときにも生じていたが。
虚無時間が生じたこと
もともと私は配信時、誰もいない時にする作業というものを用意していることが多かった。
だが、最近の諸々の活動の低迷でそれが存在しないという配信が多くなってしまった。
結果、無駄に考え込み、期待を膨らませてしまうということにもつながったと思われる。
生活リズム・運動習慣がうまくいっていないこと
まあ、そこらへんが上手く回ってないと、メンタルを病みやすい、という単純な話。
特に夜眠れなかった後の朝のメンタルはひどい。
配信への依存
その他(配信以外の諸々)もうまくいっていないこと、とも言いかえ可能。
資格の勉強や就職に向けた動きなど、何一つ、望むように動けていることがないというのが現状。
そのため、配信が現実逃避として、また何か生産性を出しうるもの、誰かの役に立ちうるものとしての頼みの綱という状態になっており、それが上手くいかなかったため、すべてがダメになったような気分になったと思われる。
これからどうするか
今、REALITYで配信する意義はあまり見いだせていない。期待することもできなくはないが、あまり望ましいとは思えない。
これは、今後のREALITYでの私のリスナーとしての活動(≒枠周り)にも依るのではないかと思う。
だが、IRIAMでする意味はある。それが、単なる現状維持に過ぎないとしても、それで私は救われていたのだから。
ただ、社会的人間として、動けるかというところに関しては、まだ考えたくないと言ってしまいたい程度には、まだまだメンタルはよくない。
付記:「たすけて」について
2024/01/22、7:34、どうしていいかわからず、苦しくなって、「たすけて」とXでつぶやいた。
これで少しわかることがある。どれも、私についての話なので、他の人にあてはまるかはわからないが。
「たすけて」と言っても、助けを受けることができるわけではない。
助けの手を伸ばしてもらうことはできても、「たすけて」と吐いてしまうような状態の私は、その伸ばされた手をつかむ力は残っていない。
だけれども、伸ばされた手があるという事実そのものは助けになる、という意味では助けてもらっているのかもしれない。結果、「たすけて」と言えば、すこし楽にはなったのだ。
実は、これは、ネット上だけのことでもないというのも加えて書いておく。
家族に助けを求めても、私がその助けを受け入れられる状態ではないというのがよくあった。