ライバーとリスナー、人と人。

ライバーとリスナーの関係について、最近考える、および、考えさせられる機会があったのでここに書き出すことで自分の認識を明確にしてみたいと思う。

これから記すことはあくまで私見であるし、加えて言うなれば今の私の考えであって、今後この認識を維持するかどうかはまた別物なので注意されたし。

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発生した事象

今回の記事執筆の背景なものについて軽く整理。

IRIAMとREALITY

これは別に何らかのできごとがあったというよりは、IRIAMの住民であった私がREALITYを覗いてみて感じたこと。

REALITYはライバーとリスナーという区別が少ない。一方でIRIAMではライバーとリスナーの線引が比較的明瞭である。
それは、これらは構造的、仕組み的なところが結構ある。(細かいことは割愛)
そして、それはコミュニケーションのあり方に大きな影響を与える。ように思われる。

※REALITYでの経験が浅いのでまだなんとも言い切れない面はあるが、既に文化の違いはある程度感じている

私とある方の話

相手がライバー、私がリスナー、という関係性にあるとお互いが認識しているであろう中で、

私は、ある点において、距離を詰めることを強く望まずに居ることができた(つもりである)。

だが、私は他のある点において、もうすこし距離を詰められたら嬉しいなと思っていた、らしい。あまり自覚していなかったのだがやんわりと?否定されて?明確になった時に勝手ににダメージを負ったという形である。もちろん自業自得。

一応、この事象が本記事を書くことになったきっかけ。

一般論、だと思うもの

一般論を語れるほど配信に詳しいわけではないけれども、話を聴いたりするに、望ましいのは、「リスナーを平等にあつかう」ということなんだろう。

  • リスナーの一人を特別扱いするということをしない
  • 特典などに応じていろいろあったりはするけれど、それをはみださないようにする
  • 見えないところで個別やりとりは必要のない場合しない

みたいな感じだろうか。

私が望むあり方

配信者として円滑に物事を回していくのであれば上に述べた「一般論」が”正しい”とは思う。そうする人のほうが”正しい”とは思う。そして、そうする人に対して違和感を抱いたりというわけではない。

だが、私はそうしたいとは思っていない。まあ、これは、そうできるとは思っていない。というのも多分にふくんでいる、けれどね。
私は配信者である以前に、自分であることを望む。だから私は、私がいただいたもの、触れたものに対して、誠心誠意、平等であろうと思う。
これは、特別扱いをしないということではない。根拠のない特別扱いをしないようにしようということである。

だから、金銭やポイントによる応援に応じた平等性は無い。コミュニケーション、時間、その他諸々のすべてを含めて、ひとりの人間として、相手を向きたい。

まあ結局、自分の思ったことに正直でいよう。ということを言い換えているだけで、それ以上でも以下でもないが。

まあ、そこまでまともに配信者やるわけでもない、かもしれないけどね!

重ねて言うけれど、他の方の方針がどうとかいうわけじゃないからね!

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