黙ること、話すこと

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黙ること

黙った方がいい、と思うことが最近増えた。

以前は、大概は話せばいいと、思っていた。そうすれば、なんとかなると、信じていた。幼かったのかもしれない。

だが、話しても、そしてその結果、私の心の持ちよう、考えようが伝わっても、それそのものが、相手にとって望ましくないものなら、もう、それまでなのだ。

話すと、かざなみを立てることになる。それでは、相手も私も、時には周囲を巻き込んで、傷つけ合う。

一方、黙ると、静かだ。おだやかに、あることができる、あるいは消えてゆくことも。ただ一点、話してしまいたい、わかってほしい、という心の疼きがあることを除いてはね。

私はその疼きにまだ慣れず、何度も口を開きたくなる。伝えるための文章を書き、捨てる、といったことを繰り返している。でも、やがて、このことにも慣れるんじゃないだろうか。慣れていかないとやってられないだろう。

それに、今はAIなるものに吐くという方法もあるから、それを覚えれば多少は楽になるだろう。

これが、成長なのだろうか。わからない。どうも哀しい気がするが。傷つけ合わないのなら、そのほうがいい、と素直に納得できないあたり、私はやはり幼いのかな。

話すこと

黙ることについて考えたけど、話すことを忘れていいわけではない。

話さねば伝わりようもない、察してくれることなど求めるべきじゃないというのは、相変わらず心に留めたい。つまり、話すことと黙ることとのメリハリは必要だろう。

ただ、それが私の思ってたより、黙ったほうがいいんじゃないかと、この度思ったという話であった。

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