静かな、
希死念慮。そういう話。
ーー
以前、本当に瀬戸際に立った時には激情があった。自己を否定して、迷惑をかけたくないと強く思った。
それに関しては多分、片付いた、と思う。
私はもう私を悪いとは思わないし、迷惑はかけるものだと心得ている
ただ、それとは違う、静かなものが、上下を繰り返しながら、水位を上げていっているように感じる。
それを、上手く言い表せるかわからないが、残しておきたい。
あと、もはや、求める気力もなくなりつつある助けをよぶ悲鳴になりうるかもしれない、というのもある。だれか、あてがあるわけでもないが。
ーー
どう表現したらいいのかな。
私に私を維持する気力がなくなってきているとでも言おうか。
苦しい、ときもあるけれど、ずっと激しく苦しいわけではない。その繰り返しにつかれている。
希望を持てなくなったというより、持たなくなった、持つ気がなくなった。この底にいる現状に対して希望を叶えるより、希望を消す方に舵を切ろうとしている。
それなら、手っ取り早い方法があるよねって、ちらつく。
ーー
以前にくらべて、ますます自己中心的でいることをためらわらくなったのも、あまりよろしくないかもしれない。
今有る以上、立つ鳥跡を濁さず、というわけにはいかないが、その濁りをなんとも思わないのだから。(以前はそれを激しく嫌っていた。)
ーー
仮に、誰かが、私に「生きていて欲しい」と、言ってくれたとして
今の私は、「苦しいのは私だ。あなたじゃない」だから、ね。と考えている。
それでも、誰かのために生きようと、思えるほど、荷が、苦しみが軽いのなら、何か望むものがあるのなら、よかったのだが。
ーー
ただ、これは、死に向けて踏み出すに至るのだろうか?というのは疑問が残る。
諦めが上手くなって苦しみを減らしていけるのなら、あるものを貪り生き続けられるのかもしれない。
あと、直前にちらつく本能的恐怖を飛び越えられるほどのものが、この静かさから生じられるのかも謎だ。
以前はそれに足並みを乱されて今があるに近いのだから。まあ、踏み出しはしたから半ば偶然なのかもしれないが。
ーー
メンタルが病んでいる時というのは書いて、落ち着いた、となることが多いが、この静かなものには、それがない。せいぜい、眠るか、他のことをして忘れるくらいしかやりようがない。
まあ静かでそこまで苦しいわけではないのだから、別にここからどこかへゆかねばならないわけではないのだが。
だから、これが誤っているであろうことは分かっている。のに、そこから離れる気にならない。
間違ってると言われても、そうだね、でもべつにいいや。でおわってしまう。
間違った選択を取って間違って消えていく、そんな奴も”ありえる”んだから、いいだろうってね。
後日追記
1
時々、激情は生じるようだ。脈絡はさしてなく、突然訪れて去っていく。
これに似たものが、また来た時に、私が私であり続けることを選べぶことができるかわからない、と思う程度のものではあった、と思う。
去ったものなので、断言はしかねるが。
2
今(本記事投稿時)のメンタル状態は、執筆時に比べて幾分か落ち着いており、これまでに書いたことを投稿すべきでないであろうことは理解している。
だが、私はここでも自己中心的だ。
その時の、私の叫びとも言えようこの文章をもみ消すのがもったいない?むなしい?とにかく、なんとなく、そのまま置いておきたいと思ったので、他の方に迷惑をかけることを承知の上であげることとした。
まあ、迷惑なんて、今更。もう、遅い気がするし。