提案していただいたことを自分なりに組み替えて実践してみることにしようと思う。
することは要するに日報。
実践内容
「Weekly nnnn/nn/nn〜nn/nnの」記事を今までは週末に公開していたが、これからは、それをその週の初日に公開。
1日ごとに日報を更新して、週の終わりにはいつもどおりWeeklyを追加して更新終了。
その記事公開ツイートの下にぶら下げる形で日報の更新をつぶやく。
ということにしてみようと思う。
理由
思うように動けないから、少し負荷をかけたい。
みなさんに見られていると思ったら、私もやるんじゃないかな、という意図。
補足
私の勉強について、ちょこちょこ尻尾は出しつつも、一応、私としてははやや隠した体でここまできたが、それをやめることにしようと思う。
私は大学に行きたいと望んでいる。まだ、望んでいる、といってもいいかもしれない。
細かいことは続く、過去に書き置いたが、その時は公開できなかった文章に心情などが現れている、と思う。
ちなみに、精神状態が悪化したらこの記事ごと消滅する可能性もあるかもなのでよろしく。
未練。つまり望み。もしくは呪い。
※4/15時点で書き上がっていたもの
やってみたいことそのものははたくさんある。最近だと、BOOTHを絡めた素材配布とか、ポッドキャストとかが新しく気になったりしていた。
けれど、明確に”未練”とまで言えるもの、こだわってしまっているところ、固執しているところは、やはり、これだろう。
長らく、零しつつも、まともに書き連ねるのを、私は躊躇ってきた。叶えたいと思う頭の半分で、叶わないと諦めていた。いや、望みを明言した上で、結果叶わなかったら恥ずかしいだろうから、というほうが近いか。そして、「『まだそんなものに拘るのか、いい加減にしろ。』という周囲の声」という、自分で生み出したに過ぎない否定の言葉に圧されていたというのもある。
だから、これをここに書くことを私は後悔する可能性が高い。すまないね、私。でも正直な思いなのだ。そうだっただろう?
そう。私は大学に通いたかった。その表現は正確ではない。私は大学に通いたい。今もなお、である。
自室で過ぎた青春だったはずの日々。渦巻く劣等感。“普通”、”まとも”に対するコンプレックス。そしてなにより、究めることへの憧れ。どうにかして、捨て去る方が多分、楽だし、手っ取り早い、のだろう。もし、本当に捨て切れるなら、その思考から自由になれるのなら。私はそうする方法も模索したし、やろうとしたつもりが上手くできずに、今もまだ囚われている。
だが、所詮、楽とか手っ取り早い、程度の話なのだ。もちろん、もし私が大学に行けば、その間、就職するに比べ、労働収入は入らず、学費がかかるのであろうから、私の家族は迷惑を被るだろう。それでも、それが許されないと聞いた覚えはない。それどころか、相談してもなんとかなると、やりたいようにせよ、と言わている。実際、学校に行けない間に金銭的浪費をしたわけでもない。そのまま要るものは概ね残っている。我が家は恵まれたことに、余裕綽々とは言えずともギリギリではない。
つまりは、私が、望まなかった、望めなかった、そして、叶えられなかっただけだ。
なぜ、ここまで、これほどに時間をかけたのか。それはあまりに繰り返しすぎて、その繰り返しを止めようとしたからだ。何度も折れてきた。どこかに通うことを試みた。学ぼうとした。上手く動けなかった。諦めた。そして、別方面としてブログや動画投稿に寄り道しつつ、また試しては失敗し、休んで、また挑んでは上手くいかず。小さな起伏も含めるのならば両手の指をもってしても数え切れないほどに、何度も折れた。そして、もうこの繰り返しをやめようかということになったのだ。
まあ、言ってしまえば、また“その時期”なんだろう。何度目だ。失敗を繰り返し、もう自信なんて、自らへの信頼なんて、磨り減ってしまっているだろうに。
…そうだね。愚かだろうね。実際、今の私も、今度こそ上手くいく、とまで完全に信じ込めているわけではない。けれども、配信というものに出会ってから、私の心の拠り所にはそれなりの変化があった。揺らぐこともあるが、それ以上の励ましをもらっている。だから、実際、それに支えられ、就職に向けて踏み出すことだってあった。結局投げ出したけれど、それらについてはまあ、噛み合わなかった点を挙げられる程度には言い訳がある。そこから、やりたいことがわからなくなって、どん底みたいな気分も味わった。でも、助けられて、そして、立ち上がろうとして、こうして、未練に、望みに、向かおうとまた思えたわけだ。あと1回くらい、試してもいいだろう?
望みを諦めるのなら、諦めたなら、いい。望みが叶いようがないなら、仕方ない。だけど、絶対に不可能というわけでもないことを、諦めたフリをして誤魔化すのはいちばん格好悪いじゃないか。悔しいじゃないか。そうしたくはないじゃないか。今は、そう思う。
たとえその望みが、過去に囚われ、呪われているだけに、過ぎないと、しても、ね。