そう、振り返り。主にIRIAMでの話。まあ、他媒体にもいたりはするのでそこらへんも含めてではあるが。
このごろ、私のライバーとしての存在意義は、一旦ほぼなくなったとみていいと思う。ライバーはリスナーなくしてライバーとは言えないだろう。そして、リスナーとしても、居なくても皆にとっては同じだろうという程度には、居る意味を見いだせないことが大半だ。まあ、私自身にとっては大抵、なんなりもらうものがあるのでこちらとしては居る意味はあるのだが。
ちなみに、誰かとか、何かを責めたい気持ちは全くないので悪しからず。さまざまなものをいただいた感謝こそあれど、そもそもの話、配信において悪い思いをあまりしていない。そこは誤解しないでいただきたい。
※私がメンタルを乱した結果、配信活動に異常が出ることはあるが、そのメンタルの乱れの”メイン”の原因はほぼほぼ配信”外”のできごとである(まあ、例外もあるが、それは随分前のことになる。)
この文章は、誰かに伝えたいから、というものではない。自分が心の整理をするのが目的。対外的な意味を見出すなら、このブログの他の記事の多くと同じく、未来の私が読み返すためにこれを書いているというのが最もあてはまるものだろう。
あと、書いてからあまりまとめ直さずに出すことにする。そのほうが私の思考の流れを克明に残せると思うから。
まとめ
長いから、未来の自分は読まないかもしれないので、要点を置いておく。
これからも、続けるのであれば、なんなりありえるだろう。やらなければ、これでおしまいだろう。
これが今の私からの伝言。
その上でどうするかは、その時の私に任せる。望むようにしなされ。
いただいたもの
偶然から始まった私のリスナーとして、ライバーとしての時間は、この1年近く、私の生活の中心にあった。それは、私がそこで得るものが、つまりは、いただいたものがあったからだろう。もちろん、実益を求めて居たというわけではないつもりだが、だからこそ、私が何を魅力に感じて配信に身を置いたのかをまとめておきたいと思う。
今を生きる仲間
インターネットで友達、と言うのはすぎるかもしれないが(※)ある程度仲がよいと言いたいと思える方々に出会えたのはとても嬉しかった。
※私は言いたくとも相手がそう思ってはいないかも、というか「友達」という表現を選ばないことが予想されてしまったりして言うのが少しためらわれるとか、なんというか恥ずかしいのもあるし、むつかしい。
ブログは2020年頃から、YouTubeはそれよりも少し前くらいからはやっているが、それらによって私にそういった関係を築きたいと思える方に出会える機会はほとんどなかった。一方的な尊敬のようなものばかりが募り、対話はおろか、相手が私を認識してくださっているかもわからないというのが大半であった。
だが、IRIAMでの配信においてはすぐに親しい距離感のようなコミュニケーションが存在して、なんなら脳がバグった。それ故、苦しむこともあった。傷つけることも多分あった。だが暖かかった。
今、その距離感のコミュニケーションを継続できているかというと、そうとは言えない。1年近くが経ち、変化は様々にあった。私も配信を訪ねなくなったりした。私の配信に訪れる方もほとんどいない。されど、皆がそれぞれに今を生きていることはtwitter(X)なりなんなりで感じ取ることができる。
口下手ですぐに傷つく、いわゆるコミュ障な私にとって、そこでの”いいね”は精一杯の応援のひとつなのだ。(少なくとも私は皆のささやかな”いいね”によって元気をもらっている。)
無論、薄れていくものあろう。されど、変わらないものもある。私はそう信じている。
私はそうして配信によって、今を生きる仲間を得た。今や、交わす言葉は少なかれど、私はいつも、皆に支えられている。私が皆にとっても、少しくらい、そうあれていればいいなと願いつつ、今日も私は私にできることをやっていこうと思う。
勇気とかそういうもの
結局それは叶っていないが、私は皆から配信を通じて、社会復帰に向けた意欲をいただいた。みんなががんばっているのだから、私もこうしてはいられないと、焦りが募る。それは、辛い時もあるが、それ以上に勇気をもらった。
実際何回か、動いた。うまくいかなかったけれど。それに絶望はしたけれど。どうしていいかわからないけれど。投げ出したくもなるけれど。みんながいるから、ここで消えてはいけないのだと思うことができる。みんながいるから、まだ立ち向かわなければと思える。もう、引きこもって、動けなくなって、時が止まったようになって、それからの時間が2桁年になるのが見えてきている。そんな今でも、まだ、まだ諦め切らないでいれるのは、みんなのおかげ。
(それとも、この諦めの悪さは、自分を苦しめる愚かさに過ぎないか?と思うときもあるが、そこは一旦置いとこう。)
つくるということに関して
イラストや歌唱への挑戦も、配信なくしては有り得なかっただろう。それらが決して、作品として誇れるものかと問われると、悲しきかなそうではないのだと言わざるを得ない。しかし、それらが無駄というのは違う。私にとっては大切な大切な想いをこめたものばかりなのだから。
そして、そもそもの話、受け手と明確に接する機会というのはブログや動画投稿ではあまりなかった。もちろん、ライバーとリスナーとしての話でもあるし、(まあ依頼を受けることはなかったが、)イラストを描くひと、見るひと、として。動画を実況にせよ歌ってみたにせよ、作る人、見る人として。私にとって実体のなかった創作物の受け手は、配信を通じて、だいぶと鮮明になったように思う。
これは、独りよがりであった私のブログと動画の姿勢に一石を投じた。が、まあ、それを変化にまで持っていけていないが。というか、逆に、私はこうしていようという想いを固くした側面もあるかもしれない。
そこに迷いはある。自己満足にすぎないものを積み重ねることに、果たして、どこまでの意味が意義があるのか。まあ、ここでも、どこでも、結論を急ぐことはないと思う。惰性でもいい。なんなり、やりたい、かな?、くらいのことを積み重ねていくしかない。理屈なんて後からつくようなものなのだから。
”推し”なる文化
“推し”という言葉は多分知らなかったわけではないと思う。だが、そういうものとは別世界にいる感があったというのが実際のところだろう。それを、身近に感じたのは配信に触れてからであった。といっても、今もその関係性を生み出す感情を自分のものにできているとは言えない気がするが。というか、自分がそうあれる気はあまりしない。ただ、そういう関係性を羨ましく、眩しく思う気持ちは多少なりとも芽生えて、色々と思うところがあった。
そもそも、ライバーじゃ、なかった、か。
私は、ライバーとしても、リスナーとしても、自分が望むようにはあれなかった。というか、今、そうあれていない。まあ、そもそもの話、自分が望むものというのが鮮明に描けているわけではないのだが、とにかく、今の私がそうではない、と感じながらこれまでやってきた。それは、私の生まれ持った性質にある程度基づいているだろうが、それらは、それを乗り越えようとしなかった自らの怠慢、努力の不足、自己コントロール能力の不足、つまり懸命に努力すればなんとかなるだと、せめて、思っていたい。
それでは私は何を望んでいただろうか、私はどうすればよかっただろう。ここからそれらについて、書くことで少しでも探りこれからに生かせたらと思い筆を進めていくこととする。
私は、私の固執する、まじめさを貫きすぎて、普通のライバーとして不真面目であった。普通にすることができなかった。嫌儲的な思考があったのもあるだろう。イベントに入らない、企画をしない、ランクを求めない、まともな枠周りをしない、サムネイルを増やさない、素材を使わない。いくらでも叩ける部分がある。
思えば初っ端、できそうだからといって立ち絵を一晩で描いて、深く考えずに配信ボタンを押して始めた時点から、すこしズレていたような気はする。(まあ、立ち絵についてはセルフ受肉なる肩書によってあった出会いもあったから、今の私からすれば欠くことのできない要素ではあるのだが)
が、多分ネックはそこじゃない。私は人とつながるのが、関係性を築くのがとても下手だった。それは、リスナーとしての動きが下手というのも多いにある。自分がでしゃばるのがなんだか違う気がして、うまくからむということができなかった。というか、そもそも、それをあまりしようとしていなかったと思う。リスナーであるとき、私は自分がライバーとしてもそこ(IRIAM)にあることが重荷であった。自分の一挙手一投足に下心が隠れているような気がして、嫌だった。また、下心が隠れていると見られることを恐れたのもあるだろう。それを抜きにしても、もとからコミュ障であろうに、そのような余計な枷までついた私がうまく喋れるはずもなかった。
そして、ライバーとして喋る、というか、リスナーの感情や望みを汲み取ったりするのもとても下手だったろう。あまり自覚できていない、というかどうしていいかわからないが、結果が物語っている。
ああ、どうすればよかったのだろうか。もっと純粋にライバーとしての活動を追求するべきだったかな。
そういえば、私はライバーであろうとしただろうか?たぶん、していない、ん、じゃないか?そうか。じゃあ、私はなんだったのだろうか。
他方、いっそのこと、ライバーなどせずに純リスとして動いたほうが、やりやすかっただろうなぁ。まあ、それだと出会えてなかったひとがいるから、そうだったとしたら、困るんだけれどね。
“居場所”は高望みでも
ライバーとしての望みは最初こそなけれど、途中で芽生えたのは覚えている。それが「居場所」というものだった。これはあるライバーに聴かせていただいた話がもと。
だけど、素敵だと思うだけで、そこに手を伸ばそうという努力をするわけではなかった。だから、だめだった。
これを書き始めるちょっと前くらいかな、毎日配信バッジがつくまでのあいだに、訪問者は1名。1回。だれの居場所にもなれず、自分がそこにいることさえ、安定して続けられない。
そうして、淀んだ気持ちで書き始めたのが、この文章であった。なんならこれを書いて、配信をこれで終いにする意気であった。が、ここまで書いて、今は、さして悲しいわけでもなく、懐かしいというのが正しいかもしれない。すこし俯瞰して見れている気がする。
まあ、これまでも、そういった時期はあった。一方で、少しは賑わうときもあった。これからも、続けるのであれば、なんなりありえるだろう。やらなければ、これでおしまいだろう。
どちらを選ぶ?まあ、私が自分に正直にあれるのであれば、どっちでもいいか。
少なくとも今は、居場所という夢に手を伸ばす元気はない。けれど、細々でもなんでも、開いてはいようかなというのが今の思いだ。0 or 1 の可能性を0に固定したくない。まあ、自分の生活リズムの矯正という実利的なものもあるんだけれどね。
ここまでゆるゆると数日かけて書いて、少し落ち着いた。先に述べた通りでいいと思う。まあ、私のことだ、ころころと結論は転がってゆくだろうが、生きていれば、なんなりなろう。なんでもいいのだ。
皆も、過去の私も、ありがとう。